カビ丸のアブソルもふりたい

アブソルの育成論をメインに、アブソル尽くしで書き連ねていきます

アブソルを語る

始めに言うと、私はポケモンの中で一番好きなのはアブソルだ。
勿論他に好きなポケモンもいるし、最近のゲームやメディア展開によって掘り下げられてきたポケモンの世界観も興味深い。
けれど、私が現在ポケモンにハマっている九分九厘の理由は「アブソルがいるから」に他ならない。
今回はアブソルへの私の思いの丈を吐露しようと思う。


私とアブソルの出会いは2002年、「ポケットモンスター ルビー・サファイア」が発売された頃、アブソルというポケモンが初めて登場した栄誉あるソフトだ。
当時小学四年生だった私は、金銀までの幾分荒いドットの世界から、洗練され始めた鮮やかな世界に感動しながら冒険を進めていた。
そんな中、私が初めてアブソルと出会った時の反応はこうだ。


「あ、ふーん。こんなポケモンいるんだー」


完全に興味なし、眼中にすらなかったのである。
これは全世界のアブソル好きに殺されてもおかしくないだろう、だが許してほしい。
小学生男子というのは得てして「特別感のあるなんかカッコよくて強そうなもの」に憧れるものだ。
いや、アブソルもその例に漏れないと今は信じているが、当時の私はその感情をミュウツーやルギアに向けていた。
それ故、私が当時プレイしていたルビー版で一番心を奪われたのはラティオスだった。
勿論彼等も十分魅力的なポケモンであり、今でも一定の理解を示しているつもりだ。

では私がアブソルに興味を示す様になったきっかけは何か。
それは私が十四歳、塾帰りに友人と他愛のない会話を繰り広げていた時の事である。
当時の私は動物、特に四足の陸生哺乳類が大好きであった(元々動物全般が好きであったが、この頃から特に学問の方面も含め、興味が湧いた)。いや、もふもふとした動物が好きになってきていたという方が正確だろう。
そして白と黒のモノクロカラーを格好いいと思うようになっていた。
そんな中友人と話をしている時ふと、


「白黒でもふもふの動物っぽいポケモンとかいないかなー?」
「……アブソルじゃね?」





我、天啓を得たり――


世間が「ダイヤモンド・パール」で賑わっていた時世、未だにエメラルド版を楽しんでいた私にとってそれは正に天啓であった。
今でこそアブソルの色は白と青の体毛という印象を抱くが、ドット時代は青ではなく黒であった。
そして首回りの体毛のもふもふ、正に私が探し求めていたもの相違なかったのである。
なんとも拍子抜けな、運命的とは程遠いきっかけであろうか。
だが仕方のない事である、当時「十四歳の中学二年生」であった私に、アブソルというポケモンのデザインはあまりに的確に私の心を穿ったのである。
あれに心を擽られない中学二年生はいるだろうか?いや、いるはずがない。
だから私がアブソルに心を惹かれ始めたのは仕方のない事なのである。

だが、それでも当時の私は未だアブソルを一番好きなポケモンとして格上げしていなかった。
その時一番好きなポケモンミュウツーだった。
それというのも「ポケットモンスタースペシャル」が原因だ、あのミュウツーは格好いい。
しかし今それについて語る気は毛ほども無いので話を戻そう。

私がアブソルをポケモンの中で一番好きと思うようになったのは何時だったか。
私はこの頃からポケモン対戦にのめり込み、未熟ながらも孵化厳選等も行うようになった。
しかしゲームボーイアドバンス時代、所謂三世代の頃のアブソルというのは実に対戦に不向きな性能だった。
何せ最も高い能力が「こうげき」なのに対し、タイプ一致で使える「あくタイプ」の技は全て「とくしゅ」に分類されていたからだ。
故に使える物理技といえば「はかいこうせん」だとか「すてみタックル」だとか「シャドーボール」といった具合だ。
それ故私はエメラルド版で一匹だけアブソルを育成した後、それ以降育てる事はなかったし、戦いに出す事もなかった。

それが一変したのは私が高校受験を終え、世間より少し遅れて「ポケットモンスター パール」を購入した時の事だった。
二つの画面を駆使し遊びつくす新たなポケモンの世界に、私は好奇心を覚えながら進めていった。
だが四世代と呼ばれるこの時代に於いて、最も重要な変革が起こっていた事を私は知った。
攻撃技の分類がタイプ毎ではなく、技毎に分類されるようになったのだ!
これは革命だった、今までタイプと能力の関係上まともに戦えなかったポケモン達が日の目を浴びる事が出来る様になったのだ!
そしてそれはアブソルにも当てはまった。
今まで活用しづらかった物理攻撃を存分に振るう事が出来る様になった。
しかし、それすらも序の口に過ぎない事を私は知る。


「ふいうち」の存在だ


「すばやさ」も中途半端だったアブソルが、「あくタイプ」の「物理技」で「先制攻撃」で「威力も高い」あらゆる贅を尽くした至高の技を手にしたのである。
この世代を機にアブソルは、ふいうち最高火力の使い手として知られるようになったのだ。
その事実に私は胸を高鳴らせた、私はアブソルを育成し、一緒に戦いたいという欲求に突き動かされた。
これ程の高揚は今までになかったと思う。
私は当時数多く存在したポケモンの育成論が記載されていたサイトを閲覧し、それを参考にパーティを作り、完成させた。
流石に私も対戦初心者のため、その当時育成したアブソルも育成論に書かれていた事を鵜呑みにして、何も疑わずに育てたものだ。

そして私は電子の海に潜った。
中学を卒業する頃だろうか、話題になり出した「ニコニコ動画」にハマり、同時に私は「ポケモンバトルレボリューション」、所謂「バトレボ」の存在を知った。
私は早速購入し、不特定多数のトレーナー達とランダムで戦う世界へと足を踏み入れたのだ。
そして一戦目、私は早速アブソルを選出し、活躍させてやろうと思った。
戦いの始まる瞬間、初めてのWiFi対戦に胸を躍らせ、また、心の底から緊張し、体を震わせた。
私が選出したアブソルは「きあいのタスキ」を持たせ、「つるぎのまい」で火力を底上げし、「ふいうち」で一撃を狙う、バトレボ時代のアブソルにとってスタンダードな戦法であった。



果たして結果は、惨敗であった。



今でも鮮明に思い出せる。
私は相手のサンダースを前に「つるぎのまい」を使い、「10まんボルト」でタスキが発動し、いざ「ふいうち」を決めてやろうと選択した所を「どくどく」で躱され、何もせずに落ちて行ったあの瞬間を。攻撃を食らい、後ろに下がるアブソル。その後くるりと一回転するアブソル。そして毒で無残に倒れ行くアブソル……
適当な事をやって勝てる程ポケモンバトルが甘くない事を、適当な指示で活躍させられる程アブソルも甘くないという事を、私は痛感した。
同時に、それらの奥深さを身を以て知る良い機会でもあった。

しかし私がアブソルにのめり込む様になったのは、もう一つのきっかけが大きい。
それは同じくニコニコ動画で上げられていたバトレボの対戦動画の中にあった、一際異彩を放つ画面。
同じ種類のポケモンが六匹、ズラリと並べられた景色に私は圧倒された。

統一パ……後に種族統一と呼ばれる存在に出会ってしまった。

好きなポケモンだけで戦える、そんな自由な姿に私は心を奪われ、そして気が付けばアブソルだけを六匹揃えパーティを作っていた。
その頃の私は高校一年生、十五歳の秋頃であったと記憶している。
ちなみに同じポケモンを六匹育成する行為は、当時の厳選難易度、わざマシンが使い捨てであった事などを鑑みても異質である事に違いなかった。
高校の友人に六匹育成したアブソルを見せた時「育てすぎだろ」と指摘されたのをよく覚えている。
かくして私はアブソル統一でランダム対戦をこなす様になり、しばらくその世界を堪能した。

しかし翌年、高校二年生の年明け頃だったろうか、私が更にアブソルに溺れる事となった出来事が待ち受けていた。
その時世間は「ポケットモンスター ハートゴールドソウルシルバー」という金銀リメイクに沸き、当時プレイしていた多くの人達がこのゲームからポケモンに復帰、バトレボを楽しむ様になっていた。
そして同時に「ニコニコ生放送」というコンテンツも賑わい、私も気が付けば一リスナーとなっていた。
そんな中、その生放送で「統一大会」が開催されるのを知り、私はそれに参加した。
参加者全員同じ種族統一という、どうあがいても画面に二種類のポケモン達しか存在しない対戦画面は正に狂気の宴であろう。
その大会に参加表明をした時から、私はアブソルを育てた、育てた、沢山育てた。
そうして大会当日になる頃には、七匹しかいなかったアブソル達は二十数匹程に増えていた。
主催者には「育てすぎ」とツッコまれた気がするが、当時それ以上に育てていた人達もいたから、私は普通である。
大会は百人を超す大規模なもの、リーグ戦を勝ち抜き、初参加にしては比較的上位には食い込めたと思う。
アブソル達だけでも勝つ事が出来る、アブソル達の潜在能力は確かにある、その育成した数ともぎ取った勝利は私に自信をつけ、アブソルの魅力に少しずつ傾倒していった。

だが、私が真にアブソルのもふもふの深淵に嵌る事になったのは、実はまったく別の存在が大きかった。
同じくその大会に参加していた一人のトレーナー、彼はフ―ディンを相棒としていた。
当時私は「能力が低い所はどう補っても仕方ない」と考え、あまりアブソルに対し、耐久力に期待をしていなかったし、「どうせ耐えない」とどこか諦めのようなものを持っていたと思う。
しかしそのフ―ディン使いは違った。
どういうわけか物理ゴースト技を平然と耐え、あまつさえ反撃し、勝利していたのだ。
私は目を疑った、フ―ディンにあんな事が出来るはずがないと思っていたからだ。
だがそんな常識は捨て去らねばならない。
一般的に耐久が低いと評されるポケモンであっても、育て方次第では如何様にも活用できるのだと、私はこの時初めて知った。
そして同時に「フ―ディンの耐久であれだけ出来るなら、アブソルにできないはずはない」と思うようになった。



考えてみれば、私が現在に至るまで610匹のアブソルを育て上げたその全ての原因はそこにあるのかもしれない。



対戦におけるアブソルの奥深さ、その底の無い深みに気付いた時、私は外見や設定だけでない、アブソルの魅力に憑りつかれてしまったのだ。
これ程未来永劫可能性を模索できるポケモンはいないだろう、私にとってアブソルは愛しむべきものであり、登りきる事のない氷山なのだ。


さて、アブソルとの出会いを思い出しながら軽くお話した次第であるが、アブソルそのものの魅力についても触れていきたい。いや、語らなければ気が済まない。
出会いの時にも話したが、私は始めアブソルの動物的フォルムとモノクロカラー、そしてもふもふに魅かれたのが、興味を抱くきっかけであった。
無論今でもその点については愛して止まない事に変わりはない。
それどころか出来る事なら今でも、現実に、この手でアブソルを一度は「もふもふしたい」と思っている。
私が初詣に行く時神様にお願いする願い事は現実的な物に加え、「アブソルもふりたい」と神に祈る。
もふもふしたものへの「もふりたい」という欲求は何者にも抗えない絶対的欲求だと私は思う。
食欲性欲睡眠欲に加え、もふもふ欲を加えたっていい、四大欲求だ。
アブソルのもふもふはエルフーンチルタリスのそれと比べれば確かに度合いは低いが、アブソルが纏う体毛である事に意味がある。
いくらもふもふしていても、毛皮だけであったら愛せるはずもない。
アブソルという一個の生命体が纏うもふもふだからこそ、そこに価値があるのだ。
そして何よりアブソルは毛並みが美しい、もふもふしたいが、同時に穢してはならない神聖な空気すら感じさせる。
それでも、もふもふしたいと思うのは、どこか背徳的な感情を抱いているからなのだろうか、それは私にも分からない。
分からないが、もふもふした後は丁寧にブラッシングしたい、もしくはもふもふを嫌がられて「つじぎり」か「サイコカッター」をくらって私は死にたい。もしくはもふもふに埋めたまま窒息したい。
だが現実にアブソルはいない、だからせめてVRとかでいいから再現してほしい。
そんな未来を願うばかりだ。

もふもふについては最早これ以上私が語る必要もない程、アブソル好きの皆さんなら理解している事だろう。
アブソルに夢中になる中、私は一つの魅力に囚われた。
それはアブソルの非対称性...所謂アシンメトリーである。
アブソルの頭部左側はカールした体毛があり、右側には鎌の様に反った角が一本生えている。
この非対称性こそ、アブソルの美しさに一層の磨きをかけている要因だと私は信じている。
もしアブソルの頭部が両側カールだったり、一対の角が生えていたら、私はそれほどアブソルを好きにはなれなかったろう。
勿論そんなアブソルもそれはそれで可愛らしくはあるのだが、やはりあの非対称性こそが魅力である。
私がそう思うようになったのは「ポケットモンスター X・Y」が発売され、一年ほど過ぎたころだっただろうか。
XY発売前、アブソルは大きな変化を遂げる事を前情報から知る事となった。
そう、メガシンカだ。
新しい要素であるメガシンカ、それをアブソルが獲得し、その姿が雑誌等に掲載され、大きな話題となった。
メガシンカしたアブソルの姿を当時の私は正直あまり受け入れられなかった。
角がメガシンカのシンボルを模ったものとなり、体毛の方も片目が隠れる位に伸びている。
それまでは特に違和感なく受け入れていたのだが、当時の私は翼のように逆立った体毛が無駄だと思っていた。
「そのせいで普通のアブソルよりもふもふ感が減ったではないか!」私は怒った。
しかしXYが発売され、メガアブソルなりの魅力、そして対戦に於ける考察し甲斐のある能力に少しずつ絆され、その過程で気付いた。

メガアブソルの非対称性は、アブソルのそれよりも肥大化した分、あの翼のように逆立った体毛が対称性を保つ事でデザイン的バランスを保ち、美しく見せるようになっているのだと。

それに気が付いた時、私は初めてメガアブソルを心の底から受け入れ、そして美しいと思えるようになった。
嗚呼、ここまで考えていたのだとしたら、これをデザインした者はアブソルの魅力を真に理解し、あれ程完成された造形美を作り出したのだろう、と。
ちなみにこれは関係のない話だが、個人的にアブソルは通常進化をしないでほしいと思っている。
進化してしまったらそれは別物であり、アブソルというポケモンではない。
私はアブソルがアブソルというポケモンのまま在る事を望む。
私が愛しているのはアブソルであって、進化し、別の名前に、別の姿になればそれは別の存在なのだから。
故にメガシンカという形は、私にとってこれほど喜ばしい事はなかった。
アブソルという存在のまま在り続けるその進化は私の望む形であったからだ。

私はアブソルを「美しくあり」「格好良くあり」「可愛くある」ものと認識している。
特に「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」、所謂五世代までのアブソルは「美しさ」「格好良さ」を前面に出していたように思う。
フォルムの素晴しさは既に語った通りであるが、それに加え、野性的な鋭い眼光がそれらの印象を一層醸し出していた。
しかしXY以降になると、ドットから全て3Dモデルへと変化し、それに伴いアブソルは全体的に丸くなった。
要は全体的に可愛らしさが押し出されてきたのだ。
しかもそれを後押しするかの如く登場した要素がある、そう「ポケパルレ」だ。
全てのポケモンと触れ合う事の出来るこのシステムは、当時のポケモンプレイヤーを沸かせた。
私もその例に漏れず、初めてアブソルとポケパルレで遊んだ時の事を覚えている。




かわいい




その感情がひたすら沸き上がり、漏れ出しては沸き上がりを繰り返し、一向に止む事はなかった。
こんなに可愛い生き物が他にいるだろうか?いや、いるはずはない。
お菓子を与えれば嬉しそうにそれを食べ、顔の左側を撫でてやれば嬉しそうに目を細め、角を触ると嫌そうな顔をして怒り……これが可愛い以外のなんであるというのか。
天上の園を私は見たのだ。アブソルをもふりたいと思う私の願望を叶える第一歩として、これは存在していた様に思える。
可愛いといえば、もう一つアブソルの可愛らしさを押し出した作品がある。
それはWiiウェアで販売された「ポケモン牧場」というゲームだ。
全てのポケモンがデフォルメにデザインされ、可愛らしい印象を人々に与える。
そんなポケモン達が気ままに牧場を歩き回り、他のポケモン達とじゃれ合う姿は癒しの空間である。
このアブソルも実に可愛らしい。
ただXY以降のそれと異なる所は、牧場のアブソルはツリ目で少々仏頂面な所だろうか。
デフォルメされたデザインにその目つき……これを考えた人は天才である。可愛いに決まっているのだから。
今でも時々Wiiを起動して眺めたくなるくらいには、あのアブソルは可愛いと私は思っている。

アブソルといえば図鑑説明も忘れてはならない。
彼等は「人里に降り立つと災いが起こる」ことから「わざわいポケモン」等と呼ばれている。
「災いを呼ぶ」存在として忌み嫌われ、迫害されてきたポケモンともいえる。
その鎌のような角は死を象徴するのだろうか。なんであれ、外見も相まって大変な過去を持つポケモンである。
しかし世代を経るにつれ、図鑑説明から「災いを呼び込む」から「災いを予知し、知らせる」存在として認識が改められ、最終的には「農作物を守る守り神」の様な地位まで確立している。
世代を経る毎に変わる図鑑説明の流れも追っていくと、アブソルの歴史が垣間見れ、大変興味深い。
正直この図鑑説明だけでお話一つ書けるレベルではあるが、書いたら間違いなくブラックな展開尽くしなので心を痛める事必至である。
とはいえ、そうやってアブソルが良い存在として認知されていく過程はどこか救われたよな気持ちにさせてくれる。
そして野生に生きるアブソルの在り方を夢想し、想いを馳せるのも悪くない。
メガシンカの説明も忘れてはならない。
アブソルはあの姿になる事を厭う旨の話が載っているのだ。
XY時代からアブソルのみならず、メガアブソルも数多く育成し、共に戦ってきた私もこれには驚いた。
しかしメガシンカに至る過程を思うと、信頼関係の上にあの姿があるとも考えられる。
トレーナーのために嫌う姿に自らなるアブソルというのは、えも言われぬ気持ちにさせてくれる。
それが良い感情であれ、悪い感情であれ、その両方の感情に突き動かされながら、私はメガシンカのボタンを押すのだ。


ところで、私はアブソルが好きであるが、アブソルとしてあれば何でも好きかと問われれば首を捻る所もある。
これは完全に個人の好みの問題なのだが、私は四足を大地につけ、高山を駆け、シルクの如く白磁の被毛を靡かせるありのままの姿が好きだ。
故に獣人形態の様に無理矢理二足歩行させたりするのは好まない。
無論、元々そういうデザインであるのなら、特に厭う気持ちは起きないのだが。
しかし、もし何か変化を加えるならいっそ、擬人化くらいまで元の獣要素を削ぎ落した方が私は好きだ。
折角なら銀髪青メッシュの美人でクールなお姉さん風に擬人化してほしい。色白の方が好みだ。心がイケメンなら尚良い、好き。
まぁこれは完全に個人の好みであり、他の人がどのような好みであろうと否定するものではないので、その点だけはご留意いただきたい。

しかしこう話をしていくと、私が「獣の姿に興奮する性的趣向のある人間」と捉えられかねないのだが、申し訳ないが私にその趣向は無い。そういう趣向に関し、獣要素で許容できるのは「ケモミミ尻尾」までだ。そっちはむしろ大好きだ。
私のオタク的趣向を語るならば、私はかなりカップリング好きだ。
大体好きなキャラはカップリング込で好きだし、出来る事なら永遠といちゃついてる姿を、推しカプのいる空間の空気になって眺めていたい。
だから私からそのキャラ達に愛を語る事はないのだが、アブソルだけは唯一二次元世界に於いて、愛情を注ぎたい対象ではある。見返りがあればそれは喜ばしい事だが、アブソルがその愛情に振り返る事が無かったとしても私は構わない。私がそうしたいのだ。
しかしその愛情も表現するなら「ペットを溺愛する飼い主」的な愛情だ。
少々誇張した表現を用いるなら「家族愛」と表現してもいい。
現実にアブソルはいないので、この表現には虚しさが漂うものだが、気が付けば自身の半生をアブソルと共に生き、共に戦ってきたのだから大目に見てもらいたい。
あるいは自然の中を逞しく生きる野生動物達、その生き様に心を震わせ、彼等を尊ぶ感情ともいえるかもしれない。
それは最早ある種の信仰めいたものかもしれない。私はアブソルを崇め奉り、その心血をアブソルに注いでいるのかもしれない。
家族愛にも信仰心にも似た感情を常に抱きながら、私は今日までアブソルに愛を注いでいる。
その感情に結論が出るか分からないが、分からないままでも構わないと思える。
ただ、大仰に語ってきたものの、私もアブソルへの愛情はまだまだ足りない所と思う。
グッズについては全てを取り揃えているわけでもないし、未だ「ねがいごとアブソル」も「エメラルド版で野生色違いアブソル」を捕まえたわけでもない。
未だ映像作品のアブソルを全て見たわけでもない。
勿論、アブソルが好きだからと言って全てを網羅する必要もないのだが、可能な物は出来る限り実現していきたい所存だ。

アブソルはポケモンの中でも人気の高い種類の一つだと思う。
人気投票で二ケタ台の順位にいる事や、グッズも多い事からそれは窺える。
アブソルを好きという人は探せばかなり見つかるし、各々愛を語っている姿も見られる。
ゲーム内でも四天王とかが使ってきたりしている。
けれども、どうも私は他人が使うアブソルに興味を持てない。
いや、どんな戦い方をするのかという点について興味はあるし、アブソル自身は魅力的なのだが……
どうにも私は私が手塩にかけて育てたアブソルと、野生のまま強かに生きるアブソルにしか愛情が湧かないのではないかと思い始めている。
私は自分が育てたアブソルや捕獲したアブソル、孵化したアブソルを他人に譲りたくない。
逆に他人からアブソルを貰う事など例え死んでも拒絶する。
全て自身の手で愛情を注ぐ事に、私は喜びを見出しているのかもしれない。
そんな独占欲にも似た感情を湛えながら、私は今日も思う


アブソルもふりたい、と。